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トウカイテイオー死す

YOMIURI ONLINEによりますと、1991年にデビューから無敗のまま皐月賞、日本ダービーの2冠を制するなど、G14勝を挙げた名馬トウカイテイオー(牡25歳)が30日、種牡馬(しゅぼば)として過ごしている北海道安平町の社台スタリオンステーション(社台SS)で死んだそうな。

トウカイテイオーは私が競馬を始めた頃に活躍していた馬です。姿もレースぶりも非常に印象深い馬だったのでこのニュースは残念です。

無敗で3冠を制した7冠馬シンボリルドルフの初年度産駒として父と同じく無敗でダービーを制したトウカイテイオー、競走生活で順調だったのはダービーまでで、それ以降はケガとの戦いだったような気がします。

トウカイテイオーはダービーまではそれほど気になる馬ではありませんでした。古馬になって復帰戦となった産経大阪杯での走りに痺れました。そして1992年春の天皇賞は前年の覇者メジロマックイーンとの一騎打となるかと思われましたが、単勝の1番人気はトウカイテイオー、トウカイテイオー-メジロマックイーンの馬連は1.5倍だったと思います。これは固いと思い、馬連をしこたま買ったら、トウカイテイオーは直線全く伸びず5着でした。1着はメジロマックイーン、2着はカミノクレッセでした。カミノクレッセはこの後、安田記念、宝塚記念でも2着になっていました。

1992年の秋の天皇賞はダイタクヘリオスとメジロパーマーの強烈な先行争いに巻き込まれて7着。ジャパンカップでは史上最強とも言われたの招待馬たちを破って優勝、有馬記念は後方のまま全く見せ場なく11着。1993年1年ぶりの有馬記念では菊花賞馬ビワハヤヒデ、JCを勝ったレガシーワールドを破り奇跡の優勝、しかしこのレースが現役最後となってしまいました。

競馬を見ているとベタなドラマを見ているような奇跡的なことが起こることがたまにあります。トウカイテイオーはそんな奇跡を何度も起こした不思議な魅力を持った馬だった思います。シンボリルドルフと父子で無敗でダービーを優勝、秋の天皇賞で惨敗した後にJCも優勝したり(これもシンボリルドルフ父子制覇)で、1年ぶりの有馬記念を優勝したり。皐月賞を勝った時の2着はミスターシービー産駒のシャコーグレイドでした。

私がトウカイテイオーを生で見たのは東京競馬場で行われた引退式の1回だけです。このときのメインレースはオープン特別の東京スポーツ杯(今の東スポ杯とは違います)で、シャコーグレイドが出走し、何年かぶりに優勝していました。

トウカイテイオーには安田隆行、岡部幸雄、田原成貴という3人のジョッキーが跨りました。無敗でダービーを制したのに海外遠征を見すえて安田隆行から岡部に乗り変わり発表されたときはけっこう衝撃的でした当時は今ほどジョッキー乗り変わりは激しくなかったこともあります。でも、岡部や武豊が関わっていた馬は当時でもけっこう乗り変わりはありました。オグリキャップが典型的な例ですね。ビワハヤヒデでは最初は岸滋彦が乗っていましたが朝日杯、共同通信杯と2着が続いたため、岡部に乗り変わりました。

スプリントとダートで切り目なく活躍馬を送り出す調教師に安田隆行がなるなんて、当時は全く想像できませんでした。田原が覚醒剤など逮捕されるのも想像はできませんでしたが、当時の田原は腕は立つけどトラブルメーカー的な存在で、サンエーサンキューを巡る事件はトウカイテイオーへも少なからず影響を与えていました。

種牡馬としてのトウカイテイオーはマイルCSを勝った騸馬のトウカイポイントと阪神ジュベナイルフィリーズを勝ったヤマニンシュクルを送り出しています。サンデーサイレンス以後に競馬を見始めた人には物足りない種牡馬成績に見えるかもしれませんが、GⅠ勝ち馬を送り出しただけでも立派です。

メジロマックイーンのように母の父として活躍馬を送り出す可能性も残っています。トウカイテイオーの母系には牝馬で初めてダービーを勝ったヒサトモがいます。ヒサトモはダービーを勝って引退していたにもかかわらず、戦後の混乱期に地方競馬でに駆り出され、非業の死をとげています。そんなヒサトモの血が奇跡的に繋がりトウカイテイオーが誕生したことを考えると、この血統はまた奇跡を起こすのではないかと思ってしまいます。

ご冥福をお祈りします。



名馬列伝―トウカイテイオー

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