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「落語の国からのぞいてみれば」を読んだ

堀井憲一郎の「「落語の国からのぞいてみれば」を読んでみました。

今年の6月に発売された新書で、発売と同時に色々な雑誌の書評に取り上げられ、絶賛の嵐だったような気がします。堀井憲一郎自身は読売新聞の書評の「本編で取り上げた演題の解説と最良の音源入手のアドバイスは玄人はだし。」という言い方が気に入らなかったらしくX-Radioのポッドキャストでこの書評について愚痴っていました。

非常に簡単にこの本を説明する落語の演目を通して、江戸時代と現代の死生観、金銭感覚、時間の感覚、恋愛や結婚の違いを非常に分かりやすく説明しています。正直、あまり深く考えないと江戸時代のさっぱりとした庶民の生き方は楽そうな感じがしてちょっと羨ましいかんじがします。でもちょっと考えると江戸時代は死というのもが非常に日常ととなり合わせだったたからこそ、そういう生き方になったのではないかと思います。

「死んだやつのことは忘れる」と「名前は個人のものではない」という章では落語家の襲名問題にも触れています。堀井憲一郎はあまり拘らずに大名跡でもどんどん継げばいいと言っています。先代と比べて文句を言う人は自分の直接の経験から文句を言っているだけで自分の記憶の中の「小さん」や「正蔵」を塗り替えらるのが嫌な近代人の我儘という意見は目から鱗が落ちました。それはそれとして「小さん」や「正蔵」というの名前を世襲というかたちで継いでいくのはいかがなものかと思います。落語の歴史を考えると世襲の方が圧倒的に少ないような気がしますが、どうなんでしょうか?

余談ですが、なんなとなくこの本を読んで感じたのは今、堀井憲一郎が好きな落語家は立川談春ではないかということです。本編ではそれほど感じませんが巻末の「登場落語の解説」までを読んでいくと立川談春への熱い思いが伝わってくる感じがします。しかし、21世紀に日本橋から京都まで歩いたという話は凄いですね。掟ポルシェもそう言えば東海道を歩いてましたね。おまけに掟ポルシェは橋を渡らずに川を泳いで渡ってました。

落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書 1947)
落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書 1947)

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